教育者

 僕のサッカー人生は、楽しさ20%、後悔80%でできている。特に高校3年間の自分のサッカーには、未だに自信が持てない。高校に入って、たくさんの人と関わり、多くを学んだ。そして大学に入ってから、意見や考えの多様性について、気づくことがたくさんあった。これも、関わる人が自分の考えを持っているからだと思う。

 中学生の時は、町のクラブチームに所属した。セレクションも、みんなが受けるから受けたものだ。いわゆる、記念受験ってやつ。合格した時は、意味がわからなかった。部活でやるつもりだった自分には、クラブチームでやることの意味がわからなかった。だから、その時は、周りに言われるがまま進路が決まっていった。小学校の時のチームの代表は、クラブチームでやることに意味があると言ってくれ、背中を押してくれたのだと今では思う。

 中学一年生のころ、今では上司になっているコーチに、言われた言葉が、頭から離れない。

「おまえの武器はなんだ?」

僕は答えられなかった。わからなかったから。自分がなんでこんな上手い集団と一緒にやっているのか。なんで、こんなに厳しい環境でやらなくてはいけないのか。

「使える武器で、味方を殺すな」

その時の僕は、自分のミスも周りのせいにして、周りに指示をだすどころか、貶していたこともあった。僕は、この時に初めて「声の武器」について知った。

 高校の進路先を決める時は、大学付属で選んだ。その方がサッカーを続けられるから。いざ、入るとそこは化け物集団だった。中学の時のチームは、県でトップリーグにいたチームだったが、僕はBチームだったからもちろんでていない。高校に入ると、そのトップリーグでも上位のチームの選手や、Jの選手、東京の強豪チームの選手ばかりではないか。しかも、先輩もしんどい。だけど、続けたのには理由がある。ボールを蹴るのが楽しかったのと、親にやり切る姿を見せたかったから。これは綺麗事でもなんでもなくて、本当に思っていたからやめなかった。

 高校サッカーは楽しかった。毎日、練習をして、帰る。その繰り返しだったけど、サッカーをしている実感が湧いた。だけど、ある日気付いた。特に目標が無いことに。試合に出たいととは思っていたが、正直、出遅れたし、化け物集団だし、無理だと思っていた。僕の武器は、「声」だけだった。それだけでは、認めてもらうことはできず、目標もないまま淡々とボールを蹴るだけだった。

 そこで、僕はある一つの大きな目標を立てることにした。

「チームに必要とされる存在になる」

その第一歩目が、マネージャーの仕事だった。

投票で勝手に選ばれたが、これには僕の目標が重ね合わさった。選手兼マネージャーとして仕事をこなす。楽しくはなかったが、やりがいはあった。この仕事で初めて、監督と話した。

 今までCチームばかりだった僕は、高校二年生、三年生になるとBチームにいることの方が多くなった。僕のプレースタイルは「声」が9割を占めると言っても過言では無い。これはたぶん、サッカー部一人一人にアンケートをとってもそう答えてくれると思う。それ以外に取り柄がないから。だから声を出し続けた。それに怒った。下手くそなりに怒った。時にはそれが空回りしたかもしれないけど、本気でサッカーをした。楽しかった。本気でサッカーをしたから、本当の仲間ができたとおもう。

 ある人が最近言っていたが、僕も目標はK 4無失点優勝って勝手に自分で決めた。その人が言っていたこと、「目標設定」の話。試合に出て、全国に出たい。僕には現実的ではなかった。だから、自分のできる精一杯の目標。その人が最初はキャプテンだったけど、その人は力が認められてメンバー入りした。プレーでチームに貢献できる武器をたくさん持っていたから認められたと思う。その後、僕にキャプテンが回ってきた。最初の試合は悔しい思いをして出れなかった。僕の人生の中では、最大の理不尽をくらった。今後、どんな理不尽でも耐えられる気がするくらいのね。最終戦までは2失点してしまった。目標は達成されなかった。失点が悔しかった。こんなに失点にこだわるようになったのはなんでだろうか。本気でやってるからだろうか。

 最終戦は、三年生だけのチームで戦った。公式戦には力不足で出ることができない三年生。だけど、みんな本気だった。後ろから見てた僕は、みんなが輝いて見えた。かっこよすぎた。本気でやるってこういうことか。仲間ってこういうことかって初めて気づいた。

 なんで後悔が80%かというと、気づくのが遅すぎた。努力を怠りすぎた。もっとはやく本気でやっておけばよかった。悔しい。悔しすぎる。自分を恨む。

 最後の方は、Cチームに下がって、後輩の問題を解決することを目標にした。Aチームの選手にはできないこと。後輩の育成。そんな偉そうなことではないが、大事だとおもう。その時のコーチとたくさん面談をして、たくさん考えた。どうしたらこの本気さが伝わるか。その本気さが伝わったかどうかはわからないが、その時同じチームでやってた後輩が、三年生になってAチームでやってるのをみると、少し良かったとおもう。

 引退してすぐ、僕はサッカーの指導者になった。なぜかというと、もう一度高校サッカーがしたいから。こんな不純な理由は許されるだろうか。もう一回、本気でサッカーがしたいから。立場は違えど、できることはある。

 誰かを指導するという立場に立ってみて分かったことがある。教育の意味。教える、育てると書くのが教育だ。しかし、僕は、教わり、育つだと感じている。誰かを指導するには、多くのことを学ぶ必要がある。言葉の使い方、考え方の共有の仕方、結果と過程の因果関係。しかも多くは、教えている選手から学んだことだ。お金のためでもあるが、選手に向き合うことで、僕も成長している。そう感じる。その方法がサッカーなのだ。

 これからはたくさんの教育者を見ていきたいと思っている。本気でやるには、それを知る必要があるとおもうから。あとは知識と技術。そこがないと話にならない。勉強は終わらないのかとつくづく思う。世界は休ませてくれないな。

 ちなみに、僕はこれからも「声」で生きていくつもりだ。あとは気持ち。