小説「消しゴム」第二章

 その日の部活は、なんだか気分が乗らなかった。そういう日もある。プレーがうまくいかなかったら、ここぞとばかりに罵倒される。こんな部活辞めたいとすら思うようになる。罵倒してくる奴らは、意識高いぶっている奴らだ。そういう奴は嫌いだ。正義感ぶるやつ。つまらない生き方だと思う。

 ボーっとしていたら、休憩になっていた。門のほうを見ると、彼女がいた。赤いヘッドフォンをつけて速足で角を曲がっていった。なぜか、僕は彼女を目で追っていた。すると後ろからパステル野郎が話しかけてきた。

「何見てんだよ。ん?あの子?」

「うん、しってるか?」

「知ってるよ。かわいいよな。意外に人気も高いらしいぞ」

 パステル野郎はにやにやしていた。こいつがこういう顔をしているときは、僕のことを小ばかにしている時だ。どこにバカにする要素があったのかわからない。とりあえず、そこにあった水をぶっかけておいた。

 帰りはいつも、すぐに帰る。風呂に入って、ご飯を食べて、部屋にいる。この生活を始めて、何年がたっただろうか。もうわからない。今日は、あの子のインスタを見つけた。投稿は、フェスに行った時の写真や、バンドの情報ばかりだ。彼女の顔をアップにしてみたり、タグの付いた投稿を見ていたりしていたら、彼女の投稿にいいねをしてしまった。ここで焦ってしまう僕は、童貞クサいだろうか。はいはい。

LINEの通知音が鳴った。パステル野郎だ。

「猫拾ったぞ~」

 この一文と、小さい子猫の写真が送られてきた。負けじと僕の愛犬の写真を送り付ける。このご時世に、猫を助けて、飼い始めるやつがいるとは、にわかに信じがたい。しかし、僕のすごく近くにそれはいた。正義の男。まさに、女子高生がすきそうだ。生まれ持っての天性なのか、はたまた、猫をかぶっているだけなのか。僕は、こいつを知っているから、猫をかぶっていても何も思わないが、これを、偽りの名前と顔のやつがやっていたら、吐き気がする。同じことなのに。正義ってなんだ。

 次の日も、前を彼女が歩いていた。

「おはよう」

「あ、おはよう。昨日、いいねしたでしょ」

「え、あ、うん。ごめん。」

「なんで謝るのよ。フォローしといたから」

「う、本当?ありがと」

 この子は、僕が思っていた以上だ。彼女のほうからは、香水のにおいがする。風が良い仕事をしている。

「うぃ。おはよ」

邪魔者が入った。言うまでもなくわかるだろう。パステル君だよ。二人の世界を一瞬にして壊した。恐ろしい奴め。この後のことは、彼女とパステル君の二人の世界が始まったから、語る必要もない。

つまらない授業の間は、よく色々なことを考える。そこにあった、自分の消しゴムに目が行った。消しゴムというのは、鉛筆で書いた文字が消せるという便利な道具だ。しかし、鉛筆で書いた文字しか消せない。例えば、僕が話した言葉は消してくれない。消すことはできない。

 文字や言葉というのは、何のために生まれたのか。自分が何をしたいのか、何を思っているのか。それを発信する手段として生まれたのではないか。まあ自然発生だろうと思う。根拠はない。挨拶をする、お礼を言う、謝る。最初は暗号であったり、動作であったものが、文字や言葉が生まれたことによって、より直接的に他人に伝わるようになった。便利な世の中だ。

 しかし、時として、その言葉や文字は、殺戮兵器となることがある。この「言葉の裏の顔」がすさまじく恐ろしいものだと、多くの人は気づいていない。なぜなら、言葉は、あまりにも身近になってしまったからだ。言葉として口から発されたものは、消すことができない。だから謝るという文化が生まれた。しかし、書かれたものは消すことができる。この消しゴムによって。殺戮兵器は消しゴムによって、見えない毒ガスとなることもある。しかもそれは、見えない敵からの贈り物の場合も。この見えない敵が気持ち悪い。そして、それに反応する正義のヒーローも気持ち悪い。これらの存在は、消しゴムで消すことはできないのだろうか。消せたら楽なのに。消しゴムの役立たず。肝心な時に使えない。

 僕の性格がひねくれていることがわかったとき、チャイムが鳴った。今日はオフだから、すぐ帰ろうと思っている。良く晴れているから、サッカーをしたいが、今日はお預けだ。後ろの席の彼女は、もういなかった。

 川沿いはいつものようにパステルカラーだ。空は、青い。目が眩むほどに美しい。授業中に考えていたこととは真逆の色をしている。青と赤、ほんとはどっちが好きなの?と聞かれたら、迷う。赤色が好きだが、この空を見ていると青色も好きになってしまう。僕は単純な野郎だ。川の反対側に、赤いヘッドフォンをした彼女がいた。彼女は、携帯を眺めながら歩いている。彼女の歩くスピードに、僕は自転車のスピードを合わせる。斜め後ろから彼女を見ていると、風が香水のにおいを運んできた気がした。

 彼女の後ろから一台の自転車がやってきて、隣で止まった。彼女の隣を歩いているのは、パステル野郎だった。何を話しているのだろう。今日の朝、パステル野郎は、この光景を見ていたのだろうか。僕には二人の間に割って入る度胸はなく、自転車の車輪は、勢いよく回り始めて、あっという間に二人を追い抜いた。

 あんなに晴れていたのに、空には一瞬にして雲がはびこり、細い雨が降ってきた。通り雨だろうと思い、すぐにやむことを願った。さらさらと降る小雨の中、僕は橋の下でうつ伏せからの逆立ちを練習しようと思ったが、思いのほか恥ずかしいことに気づき断念した。橋の下は薄暗くて雨の匂いが立ち込めていた。周りは、雨の音と、車のエンジン音が聞こえる。雨が川面にあたって跳ね返る。そのまま空まで帰ってしまえばいいのに。そして、僕も連れて行ってほしい。

 川の水は綺麗とは言えない色をしている。水と水がぶつかる音を聞きながら、雨宿りをする男子高校生がどこにいるだろうか。しかも、ボーっとしている。『「息子よ。この世界はなあ毎日がeverydayだ。」そういった父を探す旅が始まる』という宣伝をしていた深夜アニメの予告を思い出した。ちょっと気になる。こんなどうでもいいことを考えてしまうくらいボーっとしている。僕らしくないかな。この深夜アニメについてツイートしてみた。いつも通り、いいねは0だ。別にいい。これはただの自己満だ。

 橋の反対側に、二人の高校生が見えた。カップルだろうか。自転車が一台、隣に止まっている。あまり見ないようにしようと反射的に感じた。しかし、世界は上手くできていて、二人の近づく姿が、川面にぼやけて映っていた。