小説「消しゴム」第一章

序章

 「この本はつまらない。」ネガキャンから始まるこの本を読み始めている君は、きっと変わっている。僕なら読まないかな。だって美味しくないと評判のタピオカを沖縄に食べに行くようなものではないか。そんな無駄なこと誰だってしたくないはず。それはそうと、タピオカって何なのか。「インスタ映え」という文化が生まれてから、タピオカという文化は、流行の最先端となった。ミルクティーに黒い球体を入れた飲み物が、「インスタ映え」になる理由が僕にはいまいちわからない。関係ない話ばかりをしてしまった。時を戻そう。

 この本はつまらない。確かにそうである。しかし、物語というのは一人一人が作り出しているのだ。そう、君にも君の物語がある。こんなクサイ言葉は僕には似合わないか。でも僕には僕の物語があるのだ。この物語は僕のお話。この本はつまらない。しかし、最高傑作だ。

 

 目が覚めると僕は消しゴムになっていた。消しゴムとは、みんなが想像するような消しゴムである。そう、その鉛筆で書いた字などを消す超絶便利なアイテムである。しかし、ただの消しゴムと同じにしないでくれ。その辺に転がっているあいつらとぼくは違う。なぜなら僕は、あの子の使っている消しゴムになったのだから。嬉しいかって?今の僕にその質問は愚問じゃないか。だって嬉しくないもの。君はこの物語の結末を読んだだけ。それじゃ僕の物語は到底理解できないだろう。一度、最初から見てくるといいよ。じゃあまたね。

 

 桜が舞う季節になった。川沿いを歩く僕の顔には、容赦なく花粉をまとった風が吹きつけてくる。最近では、花粉症が悪化しすぎて花粉が目に見えるようになったのではないかとさえ感じる。川の横のサイクリングコースを自転車で颯爽と走り抜ける。空は、海とは似ても似つかない、きれいな水色をしていた。今どきの女子が好きそうなパステルカラーだな。そんなことを考えながら、川に視線を落とすと、そこには無数のピンク色の金平糖が流れていた。この世は、パステルカラーに支配されてしまったのか。そんな支配された世界で僕は、高校二年の春をむかえた。

 学校について駐輪場に向かうと、顔なじみのやつがいた。

「よっ」

短髪でいかにも女子人気の高そうな顔たちをした男は僕に向かって声をかけた。どうしてこうも、女子人気の高い奴は、朝からさわやかなのだろうか。朝は眠たい目をこすり、あくびをしながらおはようだろう。そうじゃないと世界は成り立たないと思う。要するに、こいつは世界を壊しかねない。

「おはよ」

「なんだよ、眠そうだな」

「朝はそういうものだろう。お前こそ眠くないのか?」

「俺は朝から、町内一周ランニングしてきたからな」

「相変わらずストイックですこと」

この短髪さわやか少年と僕は、同じサッカー部に所属している。彼は、サッカー部のエースであり、キャプテンだ。漫画やドラマでよくある設定だろう。おまけに彼はストイックというステータスを持っている。道理で女子人気が高いわけだ。どうも年頃の女子たちは、ひたむきに頑張るクール系男子にめっぽう弱いらしい。だから、この世の男子高校生はそれを目指す。世界はパステルカラーに支配されているのだ。

 部室にはもうみんな集まっていた。部室は学年ごとに分かれているので、最近荷物の引っ越しを終えたばかりだ。壁には先輩たちが書き記した落書きがそのまま残っている。

「全国制覇」ふっ。ありきたりだな。

「田中ふざけんな」学校の壁に先生の悪口を書くのはいかがなものかと思うぞ。

「真面目にふざける」どっちやねん。

 たくさんの気持ちのこもった落書きを横目に、スパイクを磨く。これは僕たちサッカー部の朝の日課だ。磨きながら時計を気にする。部室にあるのは、誰かが持ってきたアナログ式の小さい目覚まし時計。部室にいる全員の視線を奪うに値するほど魅力的かというとわからない。一限が始まるまでに教室にいないと遅刻扱いだ。僕らはいつも、チャイムチャレンジと称したゲームをやる。チャイムが鳴ってから部室をでて、鳴り終わるまでに三階の階段近くの教室に入れたらクリアというものだ。実に青春ではないか。こういうのがたまらなく楽しい。

 今日のチャイムチャレンジは無事に成功した。教室に入ると、クラスメイトはもう着席していた。僕の席は、窓際の後ろから二番目にある。僕の前の席は、相撲部の坊主頭だ。坊主というのも今しかできない髪型ではあると思う。しかし、僕は絶対にやりたくない。そんなことをしていたら、僕の夢はかなわない。僕の部活が終わるのを待っていた彼女と、自転車を押しながら川沿いを歩いて帰る。これが僕の夢。一度、部活に大遅刻をかまして、坊主になりかけたが、走ることで許された。坊主は、自殺行為にも匹敵する。もし、僕が坊主だったら、この物語は「今日、僕は死にました」というタイトルになるだろう。こうやって思ってしまうのも、この世界がパステルカラーに支配されているのが悪い。

 

 僕の後ろの席には、女の子が座っている。いつも窓の外の何かを見つめているが、その何かは僕にはわからない。その子についての情報はそれしかわからない。謎に包まれた美少女。そう呼ばれている。いや、僕が勝手に呼んでいるだけ。

 朝のホームルームが始まった。眼鏡をかけた老人は、観衆の前に立って、下らぬ自慢をたれている。つまらない。教室は騒がしい。誰も聞いていない。みんなそれぞれの話をしている。隣では女子たちが、韓流アイドルグループについての話をしていた。僕には興味がない話だ。つまらない時間が続く。一時間目の数学も、二時間目の社会も退屈だ。時計を見ながら過ごすこの時間は、人生を損している気分になる。確か、三時間目は古文だったかな。早く終われと時計を見ても、2分しかたっていなかった。

 窓の外に目をやると、楽しそうに体育の授業をするクラスがある。反射した自分が窓に映っている。顔につまらないと書いてある気がして、あわてて顔をふいた。また窓を見ると、謎に包まれた美少女と目が合った。なぜだか、その瞬間、彼女のほうから、ウッディ系の香水のにおいがした。彼女のつけている香水だろうか。窓の中の世界で、僕たちは初めて出会った。

 一日の長い授業が終わり、ここからはお待ちかねの、部活の時間だ。今日はサッカー部がグランドを一面使える日だから、みんな着替えるのが早かった。

 やっと長い一日が終わり、帰路についた。毎日これを繰り返している自分をほめてあげたい。自転車をこぎながら空を見ると赤い世界が広がっていた。そこには一匹の鯨が泳いでいる。鯨はいつも、大きな口を開ける。これは、理科の授業で習ったことだが、鯨は小魚やプランクトンを食べる。そのために大きな口を開けるのだ。僕は、そんなに大きな口は開かない。一つ一つを味わって食べたいし、その食べ物についてよく知りたいとも思う。でかい図体をして、小魚のような弱そうなものを、何匹も食べてしまう。お前はイキり大学生かと言いたい。鯨も支配されている。

 次の日の朝は少し違った。川沿いで、謎に包まれた美少女を見かけたからだ。彼女は、ボブの髪型がよく似合う。たまに揺れる髪の毛が、きれいな形のまま、右に行ったり、左に行ったりしている。自転車に乗っている僕は、彼女を追い抜くことぐらいたやすいことだ。しかし、僕は、彼女の後ろをゆっくり走った。それでも追いついてしまった。声をかけるか悩んだが、思い切って挨拶をした。

「おはよう」

彼女はびっくりした表情を浮かべたが、すぐに笑顔になった。

「びっくりした。おはよ」

つけていた赤色のヘッドフォンを首にかけ、少し笑った。僕は彼女の隣を歩く。

「前の席なんだけど、わかる?」

「大丈夫。わかってるって。」

「よかった。覚えられてないかと思ったよ。」

「そんなことないよ」

「なに聴いてたの?」

「好きなバンドの曲」

「へえ」

彼女が髪の毛を揺らすたびに、ウッディな匂いがあたりに広がった。僕の会話は、面白いとはお世辞にも言えないが、僕は楽しかった。あっという間の時間を過ごし、長い時間がやってきた。

 

古文の先生は、いかにも「古文」という先生だ。茶色のスーツを着た、白髪のおじいちゃんで、たばこの匂いが漂っている。桐壺だか、光源氏だか知らないが、この世界はやりすぎだと思う。ノートに、黒板の字を写しているとき、僕は肩をつつかれた。後ろを向くと、彼女が顔の前で手を合わせていた。

「ごめん、落としちゃった」

彼女は小声でささやきながら、人差し指を僕の足元に向けた。下を見るとそこには、消しゴムが転がっていた。なんの変哲もない消しゴム。そこらへんの売店で売っている消しゴム。拾って彼女の手に戻すと、あの匂いがした。

「ありがと」

そう言って、彼女はノートの字を消した。僕たちは、昨日とは違う方法で、出会った。